知人と奥多摩湖付近へ行ってきました。
奥多摩湖へ通じる道の途中。
日原トンネルを出てすぐ左にある道路横。
そこに無造作に放置してあるトロッコの山。
奥多摩湖である小河内ダムを作るときの採石発掘跡。
トンネルを出てすぐ横の坂を下っていくと、
それはそこに点在していました。
元々廃線廃屋は好きでちょいちょいとは歩きに行っておりましたが、
知人からのお誘いでちょいと足を延ばして、
東京の東から東京の西まで旅をしてまいりました。
さて。
道路から外れて坂を下りていくと、
線路の跡が見えてきます。
レールが走っていますが、
すでに枕木は無く、
空中に2本の鉄の棒が浮かんでいるだけ。
銀河へは届きません。
周辺を見渡すと、
そこかしこに散らばっている朽ちた残骸。
なんの機械だかは見当もつきません。
数十年前のライダーの置き土産。
そしてそれよりもさらに古いヘルメット。
同行した仲間に後から指摘されましたが、
下の写真のこれはバッテリーのトロッコだそうです。
そもそも、それ何?という感じで、
わたしゃまったくわかりませんでした。
機械の表面にかろうじて残っている銘板。
製造年月は昭和38年2月となっています。
氷川鉱山自体はまだ活動しているようで、
中へ入る事は出来ません。
写真が無いのですが、
入口は金網に閉ざされ南京錠で施錠されています。
その金網までは閉ざされていないため来れましたが、
ここから先は閉ざされた空間。
不法侵入になってしまいます。
金網越しに奥だけ撮影して終了。
この周辺にはまだまだ沢山の廃墟も残されているそうです。
身支度を整え、
再訪問してみたい素敵空間です。
奥多摩湖へ通じる道の途中。
日原トンネルを出てすぐ左にある道路横。
そこに無造作に放置してあるトロッコの山。
奥多摩湖である小河内ダムを作るときの採石発掘跡。
トンネルを出てすぐ横の坂を下っていくと、
それはそこに点在していました。
元々廃線廃屋は好きでちょいちょいとは歩きに行っておりましたが、
知人からのお誘いでちょいと足を延ばして、
東京の東から東京の西まで旅をしてまいりました。
さて。
道路から外れて坂を下りていくと、
線路の跡が見えてきます。
レールが走っていますが、
すでに枕木は無く、
空中に2本の鉄の棒が浮かんでいるだけ。
銀河へは届きません。
周辺を見渡すと、
そこかしこに散らばっている朽ちた残骸。
なんの機械だかは見当もつきません。
数十年前のライダーの置き土産。
そしてそれよりもさらに古いヘルメット。
同行した仲間に後から指摘されましたが、
下の写真のこれはバッテリーのトロッコだそうです。
そもそも、それ何?という感じで、
わたしゃまったくわかりませんでした。
機械の表面にかろうじて残っている銘板。
製造年月は昭和38年2月となっています。
氷川鉱山自体はまだ活動しているようで、
中へ入る事は出来ません。
写真が無いのですが、
入口は金網に閉ざされ南京錠で施錠されています。
その金網までは閉ざされていないため来れましたが、
ここから先は閉ざされた空間。
不法侵入になってしまいます。
金網越しに奥だけ撮影して終了。
この周辺にはまだまだ沢山の廃墟も残されているそうです。
身支度を整え、
再訪問してみたい素敵空間です。